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- 序 -
我々は犯罪者と聞くと、何を思い浮かべるだろうか? 万引きや空き巣、ひったくりなどの窃盗犯? 放火魔? 政治犯? 一筋縄ではいかない非行少年? 麻薬常習者? それとも、組織的な犯罪グループだろうか? 程度の重いものから軽いものまで、これらも確かに犯罪者のイメージとして申し分ない。しかし、我々は漠然と犯罪者をイメージするとき、おそらく人の命を直接的に扱ってしまっている犯罪者――即ち殺人犯を思い浮かべてしまう事が多い。佐賀で起こったバスジャックの事件、豊川の主婦殺害、岡山の金属バット殺人などといった一連の17才の凶行しかり、大分の一家6人殺傷事件、神戸の酒鬼薔薇やオウムなどもまたしかり。これらは全てこの論文を書いている2000年現在印象に残る殺人事件であるが、ここにはその時代時代によってまた別の代表的事件が入ってくることであろう。 歴史的犯罪者といえばユダヤ人虐殺を行ったアドルフ・ヒトラーを挙げることは簡単であるし、ジャック・ザ・リッパーの名で知られる19世紀ロンドンの切り裂き魔、15世紀に140人以上の子供を性的に陵辱し最後には縊り殺したジル・ド・レ男爵、吸血鬼ドラキュラのモデルとなったとも言われているヴラド<串刺し>公などは現在でも我々の心を魅了する。巷に溢れる推理小説でも殺人事件を題材として扱ったものが多い事は言うまでもなく、『羊たちの沈黙』『セブン』などを挙げるまでもなく映画やドラマなどにも数多くの殺人・殺人犯が存在している。 実際の発生率としては犯罪全体の中で15%を切るぐらいでしかないものではあるのだが、この辺り、殺人やそれに類する行為というのは我々の心の中では遙かに大きな関心事となっているのが見てとれる。 この傾向は更に事件がショッキングで凶悪なものになっていくに従って高くなる。それだけ大々的に報道され、連日連夜テレビや新聞などのメディアを賑わしているせいであるのかもしれないが、逆を言えばそれだけ話題性の高い、関心を惹く出来事であると言えよう。最近起こった大分の一家6人殺傷事件などといった少年の犯罪を、どこかで一度ならず話題の端に上らせている人も多いのではないだろうか。 ではなぜ、殺人という行為はこれ程までに高い関心を生むのであろうか。 その理由はまず1つ、不可解な行為に対する好奇心というものが挙げられる。普通の人にとって殺人やそれに類する行為というものはまるっきり対岸の火事――おとぎ話やテレビドラマの中の世界と同じく虚構の世界に近いものであり、自分にはとうてい真似できないと思われるその行為に対して好奇心を覚え、詳細に知りたがるのである。 それ故に人々はありきたりで自分にも理由がはっきりと分かるような殺人――痴情のもつれや口論のあげくの衝動殺人、うらみつらみを抱いた末の殺人行為、お金のために人を殺すといったもの――よりも、殺し方が残虐である、謎に満ちた犯罪、普通でない動機から為された殺人行為といった、より不可解で好奇心を満たすものへと目を向けていくとも言える。 人々の中にこの傾向が確かにあることは、ワイドショーやニュースでの事件の取り上げ方や、連続殺人犯や大量殺人犯、一般に分かり易い動機ではない「不気味で不可解な」動機を持った殺人者を扱ったノンフィクションが多く大ベストセラーとなっている現実を見れば一目瞭然であろう。乱暴な言い方だが、人は自分が分からないものほどより多くの好奇心を煽られるのである。 ただ、このある種の恐いもの見たさとも言える好奇心にはもう1つ、裏の面があることも忘れてはならない。それは我々がこのような行為・事件に直面したときにおこってくる内心の葛藤に近いもの。即ち嫌悪感や恐れと共に、秘やかな愉悦をも覚える事があるという事実である。 ボードレールが「万人の胸の中には絶えず2つの衝動が同時に存在する。1つは神に向かう衝動、もう1つは悪魔に向かう衝動だ」と書いたとおり、どのような人間でも多かれ少なかれ二面性を持っている。これを顕著な形で描き出したのがロバート・ルイス・スティーブンソンの『ジキル博士とハイド氏』であろう。ここまで顕著とは言えぬまでも、誰しもがふと魔がさす瞬間というか、自分の中に恐い考えが浮かんでぞっとしたという経験を持っているのはおそらく、疑いのないことである。この事が、なぜ殺人が注目を集めるのかということを考える上でも重要となってくる。 いみじくもイギリスの殺人鬼デニス・ニルセンが語っているように、どのような不可解でおぞましい犯罪であろうとも我々は完全なる「傍観者」とは成り得ない。ニルセンは12人ないし15人の男を殺してその度に遺体を数ヶ月間隠し、その後にばらばらに解体して焼却したり肉を細かく刻んでトイレに流したりしたとされている殺人鬼だが、その彼がこの人間の二面性と醜悪なる好奇心について次のように語っている。
【心の闇の探求】序-1 [心の闇の探求]
前々から予告しておりました通り、私の修士論文『心の闇の探求 ~現代社会の歪みに対する一考察~』を公開したいと思います。論文なんでまあエンターテイメント性は全くないと思いますが、それでも私が全身全霊を賭けて書いた素晴らしい作品ではあると思いますので、興味或る方はお付き合い下さいますと幸いです♪
本日は私の修士論文『心の闇の探求 ~現代社会の歪みに対する一考察~』より、序章その1を公開致します。ルビとかあまり振ってなかったと思いますので、もし読みづらかった申し訳ありません_._
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我々は犯罪者と聞くと、何を思い浮かべるだろうか? 万引きや空き巣、ひったくりなどの窃盗犯? 放火魔? 政治犯? 一筋縄ではいかない非行少年? 麻薬常習者? それとも、組織的な犯罪グループだろうか? 程度の重いものから軽いものまで、これらも確かに犯罪者のイメージとして申し分ない。しかし、我々は漠然と犯罪者をイメージするとき、おそらく人の命を直接的に扱ってしまっている犯罪者――即ち殺人犯を思い浮かべてしまう事が多い。佐賀で起こったバスジャックの事件、豊川の主婦殺害、岡山の金属バット殺人などといった一連の17才の凶行しかり、大分の一家6人殺傷事件、神戸の酒鬼薔薇やオウムなどもまたしかり。これらは全てこの論文を書いている2000年現在印象に残る殺人事件であるが、ここにはその時代時代によってまた別の代表的事件が入ってくることであろう。 歴史的犯罪者といえばユダヤ人虐殺を行ったアドルフ・ヒトラーを挙げることは簡単であるし、ジャック・ザ・リッパーの名で知られる19世紀ロンドンの切り裂き魔、15世紀に140人以上の子供を性的に陵辱し最後には縊り殺したジル・ド・レ男爵、吸血鬼ドラキュラのモデルとなったとも言われているヴラド<串刺し>公などは現在でも我々の心を魅了する。巷に溢れる推理小説でも殺人事件を題材として扱ったものが多い事は言うまでもなく、『羊たちの沈黙』『セブン』などを挙げるまでもなく映画やドラマなどにも数多くの殺人・殺人犯が存在している。 実際の発生率としては犯罪全体の中で15%を切るぐらいでしかないものではあるのだが、この辺り、殺人やそれに類する行為というのは我々の心の中では遙かに大きな関心事となっているのが見てとれる。 この傾向は更に事件がショッキングで凶悪なものになっていくに従って高くなる。それだけ大々的に報道され、連日連夜テレビや新聞などのメディアを賑わしているせいであるのかもしれないが、逆を言えばそれだけ話題性の高い、関心を惹く出来事であると言えよう。最近起こった大分の一家6人殺傷事件などといった少年の犯罪を、どこかで一度ならず話題の端に上らせている人も多いのではないだろうか。 ではなぜ、殺人という行為はこれ程までに高い関心を生むのであろうか。 その理由はまず1つ、不可解な行為に対する好奇心というものが挙げられる。普通の人にとって殺人やそれに類する行為というものはまるっきり対岸の火事――おとぎ話やテレビドラマの中の世界と同じく虚構の世界に近いものであり、自分にはとうてい真似できないと思われるその行為に対して好奇心を覚え、詳細に知りたがるのである。 それ故に人々はありきたりで自分にも理由がはっきりと分かるような殺人――痴情のもつれや口論のあげくの衝動殺人、うらみつらみを抱いた末の殺人行為、お金のために人を殺すといったもの――よりも、殺し方が残虐である、謎に満ちた犯罪、普通でない動機から為された殺人行為といった、より不可解で好奇心を満たすものへと目を向けていくとも言える。 人々の中にこの傾向が確かにあることは、ワイドショーやニュースでの事件の取り上げ方や、連続殺人犯や大量殺人犯、一般に分かり易い動機ではない「不気味で不可解な」動機を持った殺人者を扱ったノンフィクションが多く大ベストセラーとなっている現実を見れば一目瞭然であろう。乱暴な言い方だが、人は自分が分からないものほどより多くの好奇心を煽られるのである。 ただ、このある種の恐いもの見たさとも言える好奇心にはもう1つ、裏の面があることも忘れてはならない。それは我々がこのような行為・事件に直面したときにおこってくる内心の葛藤に近いもの。即ち嫌悪感や恐れと共に、秘やかな愉悦をも覚える事があるという事実である。 ボードレールが「万人の胸の中には絶えず2つの衝動が同時に存在する。1つは神に向かう衝動、もう1つは悪魔に向かう衝動だ」と書いたとおり、どのような人間でも多かれ少なかれ二面性を持っている。これを顕著な形で描き出したのがロバート・ルイス・スティーブンソンの『ジキル博士とハイド氏』であろう。ここまで顕著とは言えぬまでも、誰しもがふと魔がさす瞬間というか、自分の中に恐い考えが浮かんでぞっとしたという経験を持っているのはおそらく、疑いのないことである。この事が、なぜ殺人が注目を集めるのかということを考える上でも重要となってくる。 いみじくもイギリスの殺人鬼デニス・ニルセンが語っているように、どのような不可解でおぞましい犯罪であろうとも我々は完全なる「傍観者」とは成り得ない。ニルセンは12人ないし15人の男を殺してその度に遺体を数ヶ月間隠し、その後にばらばらに解体して焼却したり肉を細かく刻んでトイレに流したりしたとされている殺人鬼だが、その彼がこの人間の二面性と醜悪なる好奇心について次のように語っている。









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