◆高波の日常の記録はこちらのブログで♪ → 「うぇるどの回顧録」◆
《序-1/序-2/第一章-1/第一章-2/第一章-3/第一章-4/第一章-5/第一章-6/第一章-7/第一章-8/第一章-9/第二章-1/第二章-2/第二章-3/第二章-4/第二章-5/第二章-6/第二章-7/第二章-8/第二章-9/第二章-10/第二章-11/第二章-12/第二章-13/第二章-14/第二章-15/第二章-16/第二章-17/第二章-18/第二章-19/第三章-1/第三章-2/第三章-3/第三章-4/第三章-5/第三章-6/第三章-7/第三章-8/第三章-9/第三章-10(2011-04-24公開予定)》
第三章 心の闇の探求
- 第三章-9 -
第三節 闇への分かれ道 (第一項 「死」へと向かうもの) 闇へと向かう心は即ち、自分の中にある悪への衝動――もっと限定すれば自分の中にある残酷な行為を愉しむ能力のことである。そのようなものが自分の中にあるだけであるならまだ耐えられる。大抵の人はそれを感じることはあっても、あくまで傾向としてであり、実際の残酷な行為にしても自らが行うところまではいかない。ヴァーチャルな代替行為として与えられた「死」を愉しむことはあっても、実際の行為は肉体的・精神的暴力として噴出するのが常であろう。 だが、それが生命を直接に扱うことになると次元が1つ違ってくる。実際体験として生命を扱ったとき――これは、多くタブーとして存在する――に感じる愉悦までもが自分の中に確固としてあることを認めざるを得なくなった場合、そこには何が生じてくるのであろうか。はたしてこれは、そのような「傾向」ではなく実際に残酷な行為を愉しむ能力が確固として、(しかも、人よりもはるかに大きいものとして)自分の中にあることを突きつけられるに等しいものである。自分がその行為を愉しめる、愉しんでいるというある種忌まわしい事実とともに、そのようなことをする力――その愉しみを引き起こす力をもまた手に入れたことになるのだから。 このような行為が引き起こす「死」がまた、我々の中にある残酷な行為を愉しむ能力を最大限に活性化させることは言うまでもないことだろう。我々が考える「悪」の方向へそのような行為が一番合致しているからであり、また、他の存在の苦しみのはるか先に連なるものとしてそのような「死」があるからである。 その意味で、彼らは「死」に惹きつけられた者だったといえる。「何故、僕が人間の死に対して、この様に興味を持ったかということについて話しますが」、この言葉で始まる酒鬼薔薇の供述調書の一文が実際にこのことをよく表している。
《序-1/序-2/第一章-1/第一章-2/第一章-3/第一章-4/第一章-5/第一章-6/第一章-7/第一章-8/第一章-9/第二章-1/第二章-2/第二章-3/第二章-4/第二章-5/第二章-6/第二章-7/第二章-8/第二章-9/第二章-10/第二章-11/第二章-12/第二章-13/第二章-14/第二章-15/第二章-16/第二章-17/第二章-18/第二章-19/第三章-1/第三章-2/第三章-3/第三章-4/第三章-5/第三章-6/第三章-7/第三章-8/第三章-9/第三章-10(2011-04-24公開予定)》
第三章 心の闇の探求
- 第三章-8 -
第二節 闇に惹かれるものたち (第二項 自らの中にある闇) 以上のような傾向は、現代日本において様々なメディア、社会現象を通して殺人者たちがある種身近ものとなっていることによっても拍車をかけられている。現在は小説、テレビドラマ、映画、ゲームなどの娯楽において、実に様々なところで殺人者たちとその「異常な」世界が語られている。それでなくても凶悪な事件の報道などで、その報道が事件の細部のみならず、周辺性や様々な憶測飛び交う加熱したものとなることは周知の通りである。このようなものは先に述べた我々が闇を発散させる「代替行為」のために当然のこととして存在してきたものであるが、皮肉なことにそれ自身が我々を「闇」へと向かわせる装置として働いていることも否めない。先の、知ることによってその苦悶にも新たな地平が訪れるという話ではないが、我々は殺人者について情報を持ちすぎた。様々な書物、フィクションやノンフィクションなどを通して、自分たちとは違う彼らの世界は容易に語られる。だが、それがまたふと立ち返って自分たちの中にそのような世界――傾向がないかどうかを心配させるものともなっているのである。 以前のようにそれらが何処か遠い世界での出来事――完全なる異常者としてあるのであれば、決してそのようなことは起こり得ない。だが、精神病にも正常と異常の境界がますます曖昧なところで表さざるを得ないボーダーラインなどの症例を規定しなければいけなくなったように、我々の中にも存在するモノを感じさせる部分が、詳細に知れば知るほど多くなってきているのである。これは殺人者の中にある「闇へと向かう心」が我々の中にも多かれ少なかれ存在している事実を考えれば当然のことであるが、詳細に描けば描くほど、それは我々自身の中に同様の傾向を認める因子となりえるものとして存在することとなってしまうのである。*19 *19 職場を離れた場所においての上下関係の押しつけや、職場を引けて後の「赤チョーチン」の賑わいなど、個人が非合理な小集団に包まれざるを得ないことを指しており、間庭はこの事を日本的ゲマインシャフトと呼んで分析している。
《序-1/序-2/第一章-1/第一章-2/第一章-3/第一章-4/第一章-5/第一章-6/第一章-7/第一章-8/第一章-9/第二章-1/第二章-2/第二章-3/第二章-4/第二章-5/第二章-6/第二章-7/第二章-8/第二章-9/第二章-10/第二章-11/第二章-12/第二章-13/第二章-14/第二章-15/第二章-16/第二章-17/第二章-18/第二章-19/第三章-1/第三章-2/第三章-3/第三章-4/第三章-5/第三章-6/第三章-7/第三章-8/第三章-9/第三章-10(2011-04-24公開予定)》
第三章 心の闇の探求
- 第三章-7 -
第二節 闇に惹かれるものたち 第二項 自らの中にある闇 我々が《心の闇》を身近なものとして感じるようになってきてしまった背景として、近代化が引き起こした経済的繁栄と教育の普及が存在する。第一章で見たように二十世紀において新しい殺人の形態が大量に現れてきたことと、この《心の闇》を我々が認識してしまうことの間にはやはり時代背景的な関連があるのである。 産業革命以後出現してきた大量生産技術は、我々に対してもはや日々の糧を心配しなくてもいいような状況をもたらした。一昔前とは違い、我々はもはや金さえあれば日々の暮らしに困ることはなく、食料やその他の生活必需品も近くのコンビニエンスストアに行けば簡単に手に入るようになっている。そこには日々の生活の糧を得るために窮窮とするような状況は既になく、そこに回していたパワーを他に向けられるだけの余裕が出てくることとなったのは言うまでもないだろう。 このような経済的繁栄は我々にある種の余裕と余暇をもたらした。C・ウィルソンは余暇は「何時でも性」を考える余裕を我々に与えることになったと述べていたが、まさにそのように我々には生活のためだけに全精力を傾ける時代を脱し(これはとりもなおさず今の後進国の状況であると言える)、それ以外の様々なことに力を注げる時代へと脱皮したのである。このことは先進国と呼ばれる国の状況を見てもらえば一目瞭然であるが、まず一つ、このような余裕が《心の闇》の認知に一役買っていることがまず言えるだろう。 あえて言葉を重ねて説明するまでもないかもしれないが、以前は自分の身の回りの事を越えて娯楽や様々な学問へ精力を注げる人々はほんの一握りしかいなかった。国を支えている名もなき人々のほとんどは日々の暮らしを維持するだけで精一杯だったのであり、知識の探究や芸術を生み出す、思索に耽る等のことをするのはそのような余裕のあるほんの一握りの人間だったのである。このことは教育の普及度や識字率などを見てみてもよく分かる。 よく知られているように、様々な社会で識字率が80%を越えるような高い水準に到達したのは近代化が為された19,20世紀以降の出来事である。それまでの時代においてはほとんどの人は字すら読むことはできず、従ってまた教育――学問というものにも触れてはいなかった。現在日本のような一億総中流の意識でもって全ての国民に一様に最低限の教育を施すような時代は未だかつて存在しなかったのであり、このことはもっとよく考察せしめられなければならない。 当然のこととして、教育というものは様々なものに対する知識を増やすということである。知るということは自らの地平を広げるということだ。ものを知り、考え方を知ればそれだけ自分の視野が広がり、選択の幅が広がる。様々なことを違った側面から捉えることが可能になり、同時にそれだけ違った価値観が生まれてくることになる。知るということはそれ自体、悪いことではないが、ものを知らなかった時とはまた違った新たなる悩みをもまた、我々にもたらす危険があることは知っておかなければならない。 先に自己の概念について知ってしまったものは何かとその「自己」という問題に躓きやすくなることを述べたことがあったが、それと同じようにある概念について知るということは、その概念にまつわって出現してくる様々な問題も一緒に抱え込むということなのである。もちろん、それについての概念を知らない場合にも、同様の問題に引っかかることはある。自己の概念について知らなくても、自分はなんのためにいるんだろうと引っかかることはあろう。だが、それは明らかに問題の「深さ」が違ってくるのであり、この場合、当然のこととしてその「なんのために」は外的な事実と結びついてくる。ここでの解決はおそらく仕事を貰うとか何かの役割が見つけだせれば訪れる。それに対してそれが「自己」の概念の側から来た悩みであったのなら、そのような外的事実だけではもはや解決は訪れなくなってしまっているのである。つまり、同じようにそこで何らかの役割を得られたのであったとしても、それを越えて自分というものの中にはそのような役割は一体何の意味があるのだろうという次元まで容易に転化してしまうからである。 つまり、それについての悩みの度が、知っている状態ではより深くなることもあるのである。これは表面的なこと、単なる外的な事実だけを問題にするのではなく、自分の思考の内部にある概念についても問題にするようになるからである。キルケゴールの絶望の規定では自分が絶望の状態に無知であることから出発して、その概念を知っていくに従ってより深い絶望が訪れているように描いてあったが*16、まさにそのように自分の内的事実まで問題にしなければならない状況は、ただ単にある出来事について悩むだけとは違った苦悶をその者にもたらしていくのである。 *16 Lionel Dahmer,A Father's Story,Morrow,1994,p.212
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明けました [日記・雑感]
もう新年一週間以上経ってしまってますが、明けましておめでとうございます。
大変ご無沙汰しています高波です。
考えてみれば一年近くもblogを更新してなかったんですね><
去年は自分の至らなさから色々な人に迷惑をかけてしまった一年でした。
なかなか創作にあてる時間も精神状態も作れず、悔しい思いをしたこともしばしば。
最近ようやくちょっとずつ落ち着いてリズムを作れてきたので、こうやって復活してきました。
今年はぼちぼちblogも更新していきます。
一年以上もお休みしていたおかげでblogに書いていきたいこととかこのblogの方向性とか色々と伝えたいことは溜まっているのですが、まあ無理してもまたぽしゃってしまいそうなので、自分のリズムで徐々にやっていきたいと思います^^;
とりあえず今までのような長編をどんと一括で出すのではなく、もっと断片的なピースの投稿や日々心をよぎった言葉の投稿が増える予感。
もち、長編もやっていきますけどね。
この苦しんだ二年間で得たものを色々出していきますわ~。
まあそんなこんなでまたリスタートしていきますんで皆々様どぞよろしく^^/
大変ご無沙汰しています高波です。
考えてみれば一年近くもblogを更新してなかったんですね><
去年は自分の至らなさから色々な人に迷惑をかけてしまった一年でした。
なかなか創作にあてる時間も精神状態も作れず、悔しい思いをしたこともしばしば。
最近ようやくちょっとずつ落ち着いてリズムを作れてきたので、こうやって復活してきました。
今年はぼちぼちblogも更新していきます。
一年以上もお休みしていたおかげでblogに書いていきたいこととかこのblogの方向性とか色々と伝えたいことは溜まっているのですが、まあ無理してもまたぽしゃってしまいそうなので、自分のリズムで徐々にやっていきたいと思います^^;
とりあえず今までのような長編をどんと一括で出すのではなく、もっと断片的なピースの投稿や日々心をよぎった言葉の投稿が増える予感。
もち、長編もやっていきますけどね。
この苦しんだ二年間で得たものを色々出していきますわ~。
まあそんなこんなでまたリスタートしていきますんで皆々様どぞよろしく^^/
【心の闇の探求】第三章-9 [心の闇の探求]
またまたかなりご無沙汰してしまってすみませんorz
あかんなあ・・・なかなか調子が安定しない・・・。あと少しですし、この後はなんとか最後まで息切れせずに行きたいところですが・・・頑張ろう。
本日は私の修士論文『心の闇の探求 ~現代社会の歪みに対する一考察~』より、第三章その9を公開致します。ルビとかあまり振ってなかったと思いますので、もし読みづらかった申し訳ありません_._
《序-1/序-2/第一章-1/第一章-2/第一章-3/第一章-4/第一章-5/第一章-6/第一章-7/第一章-8/第一章-9/第二章-1/第二章-2/第二章-3/第二章-4/第二章-5/第二章-6/第二章-7/第二章-8/第二章-9/第二章-10/第二章-11/第二章-12/第二章-13/第二章-14/第二章-15/第二章-16/第二章-17/第二章-18/第二章-19/第三章-1/第三章-2/第三章-3/第三章-4/第三章-5/第三章-6/第三章-7/第三章-8/第三章-9/第三章-10(2011-04-24公開予定)》
第三節 闇への分かれ道 (第一項 「死」へと向かうもの) 闇へと向かう心は即ち、自分の中にある悪への衝動――もっと限定すれば自分の中にある残酷な行為を愉しむ能力のことである。そのようなものが自分の中にあるだけであるならまだ耐えられる。大抵の人はそれを感じることはあっても、あくまで傾向としてであり、実際の残酷な行為にしても自らが行うところまではいかない。ヴァーチャルな代替行為として与えられた「死」を愉しむことはあっても、実際の行為は肉体的・精神的暴力として噴出するのが常であろう。 だが、それが生命を直接に扱うことになると次元が1つ違ってくる。実際体験として生命を扱ったとき――これは、多くタブーとして存在する――に感じる愉悦までもが自分の中に確固としてあることを認めざるを得なくなった場合、そこには何が生じてくるのであろうか。はたしてこれは、そのような「傾向」ではなく実際に残酷な行為を愉しむ能力が確固として、(しかも、人よりもはるかに大きいものとして)自分の中にあることを突きつけられるに等しいものである。自分がその行為を愉しめる、愉しんでいるというある種忌まわしい事実とともに、そのようなことをする力――その愉しみを引き起こす力をもまた手に入れたことになるのだから。 このような行為が引き起こす「死」がまた、我々の中にある残酷な行為を愉しむ能力を最大限に活性化させることは言うまでもないことだろう。我々が考える「悪」の方向へそのような行為が一番合致しているからであり、また、他の存在の苦しみのはるか先に連なるものとしてそのような「死」があるからである。 その意味で、彼らは「死」に惹きつけられた者だったといえる。「何故、僕が人間の死に対して、この様に興味を持ったかということについて話しますが」、この言葉で始まる酒鬼薔薇の供述調書の一文が実際にこのことをよく表している。
【心の闇の探求】第三章-8 [心の闇の探求]
震災やら何やらですっかりご無沙汰してしまいましたorz
修論公開の続きです。そろそろ終わりも見えてきましたので、一気に行きたいと思います。
本日は私の修士論文『心の闇の探求 ~現代社会の歪みに対する一考察~』より、第三章その8を公開致します。ルビとかあまり振ってなかったと思いますので、もし読みづらかった申し訳ありません_._
《序-1/序-2/第一章-1/第一章-2/第一章-3/第一章-4/第一章-5/第一章-6/第一章-7/第一章-8/第一章-9/第二章-1/第二章-2/第二章-3/第二章-4/第二章-5/第二章-6/第二章-7/第二章-8/第二章-9/第二章-10/第二章-11/第二章-12/第二章-13/第二章-14/第二章-15/第二章-16/第二章-17/第二章-18/第二章-19/第三章-1/第三章-2/第三章-3/第三章-4/第三章-5/第三章-6/第三章-7/第三章-8/第三章-9/第三章-10(2011-04-24公開予定)》
第二節 闇に惹かれるものたち (第二項 自らの中にある闇) 以上のような傾向は、現代日本において様々なメディア、社会現象を通して殺人者たちがある種身近ものとなっていることによっても拍車をかけられている。現在は小説、テレビドラマ、映画、ゲームなどの娯楽において、実に様々なところで殺人者たちとその「異常な」世界が語られている。それでなくても凶悪な事件の報道などで、その報道が事件の細部のみならず、周辺性や様々な憶測飛び交う加熱したものとなることは周知の通りである。このようなものは先に述べた我々が闇を発散させる「代替行為」のために当然のこととして存在してきたものであるが、皮肉なことにそれ自身が我々を「闇」へと向かわせる装置として働いていることも否めない。先の、知ることによってその苦悶にも新たな地平が訪れるという話ではないが、我々は殺人者について情報を持ちすぎた。様々な書物、フィクションやノンフィクションなどを通して、自分たちとは違う彼らの世界は容易に語られる。だが、それがまたふと立ち返って自分たちの中にそのような世界――傾向がないかどうかを心配させるものともなっているのである。 以前のようにそれらが何処か遠い世界での出来事――完全なる異常者としてあるのであれば、決してそのようなことは起こり得ない。だが、精神病にも正常と異常の境界がますます曖昧なところで表さざるを得ないボーダーラインなどの症例を規定しなければいけなくなったように、我々の中にも存在するモノを感じさせる部分が、詳細に知れば知るほど多くなってきているのである。これは殺人者の中にある「闇へと向かう心」が我々の中にも多かれ少なかれ存在している事実を考えれば当然のことであるが、詳細に描けば描くほど、それは我々自身の中に同様の傾向を認める因子となりえるものとして存在することとなってしまうのである。*19 *19 職場を離れた場所においての上下関係の押しつけや、職場を引けて後の「赤チョーチン」の賑わいなど、個人が非合理な小集団に包まれざるを得ないことを指しており、間庭はこの事を日本的ゲマインシャフトと呼んで分析している。
東日本大震災によせて [宇宙病]
ご無沙汰しておりました。高波です。
あの恐ろしい東日本大震災の日からはや2週間近く経ってしまいました・・・
未だかなり大きな余震が頻発していたり、原発災害が沈静化していなかったり、計画停電でてんやわんやになっていたり、街から様々な物資が消えている現状を見るに、まだまだこの災禍はのど元も過ぎていないのでしょうが、それでも徐々に街に冷静さが戻り、ちょっとずつ物資や日常が戻ってきているのは、何かほっといたします。
とはいえ、直接の被災地から遠く離れた東京ですらこうなのですから、大地震、津波の被害が襲った現地の惨状はいかばかりか、それを思うだに心が痛みます。。。
この度の震災でお亡くなりになった方々のご冥福をお祈りすると共に、未だ被災地で大変な思いをしている被災者のみなさまに、一日でも早く希望の光が届きますように今は祈るばかりです。
さて。
地震が起きてからのこの10日あまり、自分の無力さをこれほど感じる毎日はありませんでした。
通常の人でも被災地の様子を見て心を痛め、自分にできることはないか、少しでも自分が被災地の人のために何か貢献できることはないかを考えて無力感にさいなまれることが多々あると言います。
普通の人にとってもこうなのですから、私のような宇宙病をはじめとしたメンヘラーにとって、この大災害を前にした無力さ、役にたたなさ、卑小感というのはより一層、心を苦しめるものであるのは言うまでもありません。
仲間が次々募金活動や支援活動、ボランティアなどで自分に出来ることを精一杯やっているのを尻目に見ながら鬱が昂じて布団から全く動けない日々。
他の人が被災地の現状に胸を痛め、涙を流して自分に出来ることをやっている最中、自分は身近な家族関係で悩み苦しみ、お金もなく何もできずにただ鬱々と毎日を過ごす…
いや、ほんと、この苦しさったらありませんでした。
何回か、自殺寸前のところまで思考が落ち込むのを、数ヶ月ぶりに体験してしまったくらい・・・
よく、今、まがりなりにも浮上してこういう風に文章を書けるところまで来られていると思います。
もちろん、被災された皆さんの苦しさ、大変さに比べればあまりにも卑小で個人的すぎる苦しみではあるでしょう。
精神的にも肉体的にも、被災地の皆さんの方が大変であるわけで、そんな中であまりにエゴ丸出しの思考であるかもしれません。
ですが、被災地のためにできることを考えても何も出来ない自分の卑小感、周りの仲間が精力的に動いている中、全く動けない自分の情けなさ、もっと大きな苦しみを前にして些末な家族関係の不和に悩む自分・・・宇宙病を襲うネガティブスパイラルがどんどんどんどんと自分の心を追い込み、更に無力感と卑小感を育て、のっぴきならぬ所まで持っていったという、このことはリアルな出来事として自分の身にはありました。
このように自分ほど極端に出る人は少ないかもしれませんが、宇宙病(をはじめとしたメンヘラー)の方は、おそらく多かれ少なかれ同じようにこの災害を前にした自分の無力さにダメージを受けているような気がします。
自分の場合はバイオリズム的な落ち込みと現実の問題の勃発と大災害がほぼ同時に襲来してここまで来てしまったのですが、そうでなくても被災地の映像を見て心を痛める、被災地の皆さんの現状を思って涙を流す・・・それが普通であるはずなのに、自分はそれすらもできず自分の問題で苦しんでいる。そのことがひどく心苦しい、そう思ってしまう宇宙病の方は多いと思うのです。(それがこの病気の心理の動きだと言ってしまっても過言ではないでしょう)
ある意味、他人の苦しみ、他者の苦しみに過敏すぎ、それ故その空気に共感して自分自身の問題を大きく広げてしまう・・・これは一般の人でもPTSDなどの危険があると心理学者の方から警告を受けていましたが、メンヘラーとなるような繊細な心を抱えている方には、より一層危険なトラップなのではないかと思います。
なので、もしかしたら不謹慎のそしりを受けるかもしれませんが、その危険を承知の上で私は敢えて言いたい。
ご自身の問題を抱えている宇宙病(やメンヘラー)の方はどうぞ、自分自身の問題が一番問題であることを、地震や津波や原発事故や停電などよりももっともっと差し迫った宇宙の真ん中を占める問題であることを、どうか卑下しないようにして欲しいのです。
他人に比べてどうであるとか、他にもっと大変なことがあるからとか、そんなのは関係ありません。
あなたにとってその自身の病気こそが一番の解決すべき問題であり、この非常時だからと言って、それは変わらないのです。
どうか、どうか、非常時なのに他人のために立てない自分を恥じるですとか、自分を責めるですとか、そんなことはしないでください。
この非常時に何もできないことが心苦しいと言うのなら、自身の病気が治り、力一杯活動できるようになった時に、今の何倍も何十倍も何百倍も社会のために貢献してください。
我々宇宙病者にとっては自身がより健やかに活動的になれるよう、より一層精進して療養に努めることが、何よりの震災復興支援であり社会貢献なんですから。
病気の最中のパワーのない状態で無理に動こうとしたり、自分を責め苛んだりして病状を悪化させることは、あなただけではない、あなたの周りにいる人たちのパワーも奪ってしまうことになるんです。
ですから、どうぞ、どうぞ、自分の心の健康を、ご自身の心の安定を、一番に考えてあげてください。それを考えることは、あなたの恥ではありません。
願わくば、この震災を前にした無力さで苦しむ人の心に、この言葉が一粒の福音となりますように。
そう願って、自分の心の傷口を正直にさらけ出しました・・・
まっ、皆一丸に震災復興に向かう空気の中、たまにはこんな言論があってもいいでしょう^^;;;
あの恐ろしい東日本大震災の日からはや2週間近く経ってしまいました・・・
未だかなり大きな余震が頻発していたり、原発災害が沈静化していなかったり、計画停電でてんやわんやになっていたり、街から様々な物資が消えている現状を見るに、まだまだこの災禍はのど元も過ぎていないのでしょうが、それでも徐々に街に冷静さが戻り、ちょっとずつ物資や日常が戻ってきているのは、何かほっといたします。
とはいえ、直接の被災地から遠く離れた東京ですらこうなのですから、大地震、津波の被害が襲った現地の惨状はいかばかりか、それを思うだに心が痛みます。。。
この度の震災でお亡くなりになった方々のご冥福をお祈りすると共に、未だ被災地で大変な思いをしている被災者のみなさまに、一日でも早く希望の光が届きますように今は祈るばかりです。
さて。
地震が起きてからのこの10日あまり、自分の無力さをこれほど感じる毎日はありませんでした。
通常の人でも被災地の様子を見て心を痛め、自分にできることはないか、少しでも自分が被災地の人のために何か貢献できることはないかを考えて無力感にさいなまれることが多々あると言います。
普通の人にとってもこうなのですから、私のような宇宙病をはじめとしたメンヘラーにとって、この大災害を前にした無力さ、役にたたなさ、卑小感というのはより一層、心を苦しめるものであるのは言うまでもありません。
仲間が次々募金活動や支援活動、ボランティアなどで自分に出来ることを精一杯やっているのを尻目に見ながら鬱が昂じて布団から全く動けない日々。
他の人が被災地の現状に胸を痛め、涙を流して自分に出来ることをやっている最中、自分は身近な家族関係で悩み苦しみ、お金もなく何もできずにただ鬱々と毎日を過ごす…
いや、ほんと、この苦しさったらありませんでした。
何回か、自殺寸前のところまで思考が落ち込むのを、数ヶ月ぶりに体験してしまったくらい・・・
よく、今、まがりなりにも浮上してこういう風に文章を書けるところまで来られていると思います。
もちろん、被災された皆さんの苦しさ、大変さに比べればあまりにも卑小で個人的すぎる苦しみではあるでしょう。
精神的にも肉体的にも、被災地の皆さんの方が大変であるわけで、そんな中であまりにエゴ丸出しの思考であるかもしれません。
ですが、被災地のためにできることを考えても何も出来ない自分の卑小感、周りの仲間が精力的に動いている中、全く動けない自分の情けなさ、もっと大きな苦しみを前にして些末な家族関係の不和に悩む自分・・・宇宙病を襲うネガティブスパイラルがどんどんどんどんと自分の心を追い込み、更に無力感と卑小感を育て、のっぴきならぬ所まで持っていったという、このことはリアルな出来事として自分の身にはありました。
このように自分ほど極端に出る人は少ないかもしれませんが、宇宙病(をはじめとしたメンヘラー)の方は、おそらく多かれ少なかれ同じようにこの災害を前にした自分の無力さにダメージを受けているような気がします。
自分の場合はバイオリズム的な落ち込みと現実の問題の勃発と大災害がほぼ同時に襲来してここまで来てしまったのですが、そうでなくても被災地の映像を見て心を痛める、被災地の皆さんの現状を思って涙を流す・・・それが普通であるはずなのに、自分はそれすらもできず自分の問題で苦しんでいる。そのことがひどく心苦しい、そう思ってしまう宇宙病の方は多いと思うのです。(それがこの病気の心理の動きだと言ってしまっても過言ではないでしょう)
ある意味、他人の苦しみ、他者の苦しみに過敏すぎ、それ故その空気に共感して自分自身の問題を大きく広げてしまう・・・これは一般の人でもPTSDなどの危険があると心理学者の方から警告を受けていましたが、メンヘラーとなるような繊細な心を抱えている方には、より一層危険なトラップなのではないかと思います。
なので、もしかしたら不謹慎のそしりを受けるかもしれませんが、その危険を承知の上で私は敢えて言いたい。
ご自身の問題を抱えている宇宙病(やメンヘラー)の方はどうぞ、自分自身の問題が一番問題であることを、地震や津波や原発事故や停電などよりももっともっと差し迫った宇宙の真ん中を占める問題であることを、どうか卑下しないようにして欲しいのです。
他人に比べてどうであるとか、他にもっと大変なことがあるからとか、そんなのは関係ありません。
あなたにとってその自身の病気こそが一番の解決すべき問題であり、この非常時だからと言って、それは変わらないのです。
どうか、どうか、非常時なのに他人のために立てない自分を恥じるですとか、自分を責めるですとか、そんなことはしないでください。
この非常時に何もできないことが心苦しいと言うのなら、自身の病気が治り、力一杯活動できるようになった時に、今の何倍も何十倍も何百倍も社会のために貢献してください。
我々宇宙病者にとっては自身がより健やかに活動的になれるよう、より一層精進して療養に努めることが、何よりの震災復興支援であり社会貢献なんですから。
病気の最中のパワーのない状態で無理に動こうとしたり、自分を責め苛んだりして病状を悪化させることは、あなただけではない、あなたの周りにいる人たちのパワーも奪ってしまうことになるんです。
ですから、どうぞ、どうぞ、自分の心の健康を、ご自身の心の安定を、一番に考えてあげてください。それを考えることは、あなたの恥ではありません。
願わくば、この震災を前にした無力さで苦しむ人の心に、この言葉が一粒の福音となりますように。
そう願って、自分の心の傷口を正直にさらけ出しました・・・
まっ、皆一丸に震災復興に向かう空気の中、たまにはこんな言論があってもいいでしょう^^;;;
『うつと自殺 乗り越えるために』 [宇宙病]
3/7に放送されたNHK『ミドルエイジクライシス』シーズン5
「うつと自殺 乗り越えるために」がWebアーカイブになりました♪
以下のページで見ることができますので、
首都圏以外の方や見逃した方などはぜひ見てみてください。
私もかなり大きく取り上げられてます^^v
○NHKミドルエイジクライシス
『うつと自殺 乗り越えるために』
http://www.nhk.or.jp/shutoken/project/mc5/5n_0307_12.html
今後はここで取り上げられたことの実現に向けて、頑張っていくぞ~!
「うつと自殺 乗り越えるために」がWebアーカイブになりました♪
以下のページで見ることができますので、
首都圏以外の方や見逃した方などはぜひ見てみてください。
私もかなり大きく取り上げられてます^^v
○NHKミドルエイジクライシス
『うつと自殺 乗り越えるために』
http://www.nhk.or.jp/shutoken/project/mc5/5n_0307_12.html
今後はここで取り上げられたことの実現に向けて、頑張っていくぞ~!
タグ:うつ病
創造の家 [宇宙病]
昨日の「ミドルエイジクライシス」で紹介された、
私が今後手がけていきたいと考えているインターネット上のコミュニティ。
コンセプトはもう既にかなり固まっています。
ゆるく繋がりあい、支え合い、刺激しあえる場。
自分の魂の求める創造性を発露できる場。
そして何よりもそこに帰って来られる居場所としてのコミュニティ。
その名も、「創造の家」プロジェクト。
社会起業大学の卒業生課外ゼミで、実現に向け様々に揉んでいる所です♪^^
今回は、その中から、全ての根幹になるコンセプト、序文をご紹介いたします。
こんな序文から始まるネットコミュニティ、あなたの心に届きますか?
私が今後手がけていきたいと考えているインターネット上のコミュニティ。
コンセプトはもう既にかなり固まっています。
ゆるく繋がりあい、支え合い、刺激しあえる場。
自分の魂の求める創造性を発露できる場。
そして何よりもそこに帰って来られる居場所としてのコミュニティ。
その名も、「創造の家」プロジェクト。
社会起業大学の卒業生課外ゼミで、実現に向け様々に揉んでいる所です♪^^
今回は、その中から、全ての根幹になるコンセプト、序文をご紹介いたします。
「創造の家」
心こそが創造の源泉である
他者よりより多く、より深く、より大きく悩みぬいた者の心には、
穏やかで幽遠な魂が宿る
その深淵極めた心で以て、他者の叡智を創造する
他者よりより多く、より深く、より大きく苦しみぬいた者の心には、
情け深く寛仁な魂が宿る
その広大な心で以て、他者の安らぎを創造する
他者よりより多く、より深く、より大きく傷ついた者の心には、
鋭敏で繊細な魂が宿る
その感受性鋭い心で以て、他者の気づきを創造する
より多くの喜びを得た心はよりいきいきと豊かな世界を創造し、
より多くの感動を得た心はより気高く崇高な世界を創造する――
人の心が豊かになれば豊かになるほど、
人によって創られる世界も豊かになり、
それによって更に人の心が豊かとなり、
ますます創られる世界も豊かになって……
やがては誰も見たことのない至高の高みへと登っていく
ここは、そんな頂きを夢見る「創造の家」
悩み、苦しみ、傷ついた魂が、
それを乗り越え、
創造の翼を羽ばたかせるための場所
あなたの
悩みは、
痛みは、
苦しみは、
決して無駄にはなりはしない
それこそが、次なる創造へと繋がる翼
誰かの苦しみに寄り添える翼
心がはちきれそうな時
一人で抱えきれなくなった時
心に宿った創造の翼を大きく育てていきたい時――
ぜひ、「創造の家」の扉を開いてみてください
あなたのその心で、
新たな創造の一歩が刻まれます
心こそが創造の源泉である
他者よりより多く、より深く、より大きく悩みぬいた者の心には、
穏やかで幽遠な魂が宿る
その深淵極めた心で以て、他者の叡智を創造する
他者よりより多く、より深く、より大きく苦しみぬいた者の心には、
情け深く寛仁な魂が宿る
その広大な心で以て、他者の安らぎを創造する
他者よりより多く、より深く、より大きく傷ついた者の心には、
鋭敏で繊細な魂が宿る
その感受性鋭い心で以て、他者の気づきを創造する
より多くの喜びを得た心はよりいきいきと豊かな世界を創造し、
より多くの感動を得た心はより気高く崇高な世界を創造する――
人の心が豊かになれば豊かになるほど、
人によって創られる世界も豊かになり、
それによって更に人の心が豊かとなり、
ますます創られる世界も豊かになって……
やがては誰も見たことのない至高の高みへと登っていく
ここは、そんな頂きを夢見る「創造の家」
悩み、苦しみ、傷ついた魂が、
それを乗り越え、
創造の翼を羽ばたかせるための場所
あなたの
悩みは、
痛みは、
苦しみは、
決して無駄にはなりはしない
それこそが、次なる創造へと繋がる翼
誰かの苦しみに寄り添える翼
心がはちきれそうな時
一人で抱えきれなくなった時
心に宿った創造の翼を大きく育てていきたい時――
ぜひ、「創造の家」の扉を開いてみてください
あなたのその心で、
新たな創造の一歩が刻まれます
こんな序文から始まるネットコミュニティ、あなたの心に届きますか?
NHK首都圏ネットワーク「ミドルエイジクライシス」に出演します♪ [宇宙病]
自分でも大変驚きなのですが・・・
最近、お仕事の関係で繋がった「うつ専門カウンセラー」の澤登和夫さん(さわとん)のお導きで
NHK首都圏ネットワーク「ミドルエイジクライシス」に出演することになりました!
放映日時は明日、3/7(月)の18時10分から。
首都圏ネットワークという番組の中の特集「ミドルエイジクライシス」の中で放映されます。
ミドルエイジクライシスはミドルエイジ(30~40代)を襲っている様々な危機を描いた番組ですが、いまシーズン5「新たな一歩へ」というテーマで番組が構成されており、今回は「自殺未遂からカウンセラーへ その後」という番組タイトルで「心の病にかかったが、その病気を受け容れ(克服して)更に先へ進もうとする人/その取り組み」を特集しています。
上の「自殺未遂からカウンセラーへ」というのが先にもあげたさわとんで、そのさわとんがまさにこれから手がけていこうとしているうつ病の人(とうつを支える人)のための
「居場所、味方、社会との繋がり(存在価値)」を作って行こう
というプロジェクトの紹介があると思います。
(私も参加したその発足式(第0回会合)がNHKさんの取材を受けました♪)
私もそのプロジェクトにコアメンバーとして関わることになり、かつ自分自身でも
「うつ病の人が自己の解放/発信/支え合いが可能なWebコミュニティ」
をこれから手がけていくということで、単独でもNHKさんの取材を受けました。おそらく幾らか紹介されるのではないかと思います♪(色々撮られたシーンやインタビューがどう編集されるのかちょっとドキドキではあるのですが^^;;;)
ということで、私や私の活動、さわとんの活動などにご興味のある方はぜひ番組をご覧になってみてください♪
高波ではなく本名で出ていますので、ちょっと分からないかもしれませんが、まあ検討をつけることは可能かとwww
首都圏ネットワークということですので首都圏のみの放映になりますが、もしかしたら18日には全国放送もあるかもしれません。
あと、NHKの番組ページに後日動画がUPされますので、見られない方はそちらでご覧になる事もできます。
NHKの番組ページはこちらです
→http://www.nhk.or.jp/shutoken/project/mc5/
しかし、まさか自分がこういう風にテレビに出るなんて一ヶ月前には思いもしなかったからなあ・・・
起業してこの一年(うつになってからは6年)、とことん苦しんできたことが本当に無駄ではなかったのだと思います。
それがあったから、そうやって自分の人生に本気に向き合ったから、こういう風に色々なものが引き寄せられてくるようになってきたのだと思うんです。
ほんと、これはまさに星の導きですね。すばらしきは人のご縁です♪ 感謝☆
これからも「うつの人が自分らしく笑って暮らせる暖かい社会」を作るべく、頑張っていこうと思います♪
ということで、放映も今後の我々の活動も、みなさま楽しみ(?)にしててくださいませ~^^/
最近、お仕事の関係で繋がった「うつ専門カウンセラー」の澤登和夫さん(さわとん)のお導きで
NHK首都圏ネットワーク「ミドルエイジクライシス」に出演することになりました!
放映日時は明日、3/7(月)の18時10分から。
首都圏ネットワークという番組の中の特集「ミドルエイジクライシス」の中で放映されます。
ミドルエイジクライシスはミドルエイジ(30~40代)を襲っている様々な危機を描いた番組ですが、いまシーズン5「新たな一歩へ」というテーマで番組が構成されており、今回は「自殺未遂からカウンセラーへ その後」という番組タイトルで「心の病にかかったが、その病気を受け容れ(克服して)更に先へ進もうとする人/その取り組み」を特集しています。
上の「自殺未遂からカウンセラーへ」というのが先にもあげたさわとんで、そのさわとんがまさにこれから手がけていこうとしているうつ病の人(とうつを支える人)のための
「居場所、味方、社会との繋がり(存在価値)」を作って行こう
というプロジェクトの紹介があると思います。
(私も参加したその発足式(第0回会合)がNHKさんの取材を受けました♪)
私もそのプロジェクトにコアメンバーとして関わることになり、かつ自分自身でも
「うつ病の人が自己の解放/発信/支え合いが可能なWebコミュニティ」
をこれから手がけていくということで、単独でもNHKさんの取材を受けました。おそらく幾らか紹介されるのではないかと思います♪(色々撮られたシーンやインタビューがどう編集されるのかちょっとドキドキではあるのですが^^;;;)
ということで、私や私の活動、さわとんの活動などにご興味のある方はぜひ番組をご覧になってみてください♪
高波ではなく本名で出ていますので、ちょっと分からないかもしれませんが、まあ検討をつけることは可能かとwww
首都圏ネットワークということですので首都圏のみの放映になりますが、もしかしたら18日には全国放送もあるかもしれません。
あと、NHKの番組ページに後日動画がUPされますので、見られない方はそちらでご覧になる事もできます。
NHKの番組ページはこちらです
→http://www.nhk.or.jp/shutoken/project/mc5/
しかし、まさか自分がこういう風にテレビに出るなんて一ヶ月前には思いもしなかったからなあ・・・
起業してこの一年(うつになってからは6年)、とことん苦しんできたことが本当に無駄ではなかったのだと思います。
それがあったから、そうやって自分の人生に本気に向き合ったから、こういう風に色々なものが引き寄せられてくるようになってきたのだと思うんです。
ほんと、これはまさに星の導きですね。すばらしきは人のご縁です♪ 感謝☆
これからも「うつの人が自分らしく笑って暮らせる暖かい社会」を作るべく、頑張っていこうと思います♪
ということで、放映も今後の我々の活動も、みなさま楽しみ(?)にしててくださいませ~^^/
【心の闇の探求】第三章-7 [心の闇の探求]
今回から週一、日曜日に移動しての更新です。原稿そのものはあるので、なるべく未更新がないように頑張っていきたいと思います。
しかし、改めて読み返してみると、昔の自分凄いわ! 今回記述されているアイデンティティ論とかはまさに今、自分が活動している中で言いたかったことをずばり指摘してくれちゃってる!!(笑) この頃から追い続けている問題の本質は変わってないってことなんだなぁ、と改めて思いました^^
本日は私の修士論文『心の闇の探求 ~現代社会の歪みに対する一考察~』より、第三章その7を公開致します。ルビとかあまり振ってなかったと思いますので、もし読みづらかった申し訳ありません_._
《序-1/序-2/第一章-1/第一章-2/第一章-3/第一章-4/第一章-5/第一章-6/第一章-7/第一章-8/第一章-9/第二章-1/第二章-2/第二章-3/第二章-4/第二章-5/第二章-6/第二章-7/第二章-8/第二章-9/第二章-10/第二章-11/第二章-12/第二章-13/第二章-14/第二章-15/第二章-16/第二章-17/第二章-18/第二章-19/第三章-1/第三章-2/第三章-3/第三章-4/第三章-5/第三章-6/第三章-7/第三章-8/第三章-9/第三章-10(2011-04-24公開予定)》
第二節 闇に惹かれるものたち 第二項 自らの中にある闇 我々が《心の闇》を身近なものとして感じるようになってきてしまった背景として、近代化が引き起こした経済的繁栄と教育の普及が存在する。第一章で見たように二十世紀において新しい殺人の形態が大量に現れてきたことと、この《心の闇》を我々が認識してしまうことの間にはやはり時代背景的な関連があるのである。 産業革命以後出現してきた大量生産技術は、我々に対してもはや日々の糧を心配しなくてもいいような状況をもたらした。一昔前とは違い、我々はもはや金さえあれば日々の暮らしに困ることはなく、食料やその他の生活必需品も近くのコンビニエンスストアに行けば簡単に手に入るようになっている。そこには日々の生活の糧を得るために窮窮とするような状況は既になく、そこに回していたパワーを他に向けられるだけの余裕が出てくることとなったのは言うまでもないだろう。 このような経済的繁栄は我々にある種の余裕と余暇をもたらした。C・ウィルソンは余暇は「何時でも性」を考える余裕を我々に与えることになったと述べていたが、まさにそのように我々には生活のためだけに全精力を傾ける時代を脱し(これはとりもなおさず今の後進国の状況であると言える)、それ以外の様々なことに力を注げる時代へと脱皮したのである。このことは先進国と呼ばれる国の状況を見てもらえば一目瞭然であるが、まず一つ、このような余裕が《心の闇》の認知に一役買っていることがまず言えるだろう。 あえて言葉を重ねて説明するまでもないかもしれないが、以前は自分の身の回りの事を越えて娯楽や様々な学問へ精力を注げる人々はほんの一握りしかいなかった。国を支えている名もなき人々のほとんどは日々の暮らしを維持するだけで精一杯だったのであり、知識の探究や芸術を生み出す、思索に耽る等のことをするのはそのような余裕のあるほんの一握りの人間だったのである。このことは教育の普及度や識字率などを見てみてもよく分かる。 よく知られているように、様々な社会で識字率が80%を越えるような高い水準に到達したのは近代化が為された19,20世紀以降の出来事である。それまでの時代においてはほとんどの人は字すら読むことはできず、従ってまた教育――学問というものにも触れてはいなかった。現在日本のような一億総中流の意識でもって全ての国民に一様に最低限の教育を施すような時代は未だかつて存在しなかったのであり、このことはもっとよく考察せしめられなければならない。 当然のこととして、教育というものは様々なものに対する知識を増やすということである。知るということは自らの地平を広げるということだ。ものを知り、考え方を知ればそれだけ自分の視野が広がり、選択の幅が広がる。様々なことを違った側面から捉えることが可能になり、同時にそれだけ違った価値観が生まれてくることになる。知るということはそれ自体、悪いことではないが、ものを知らなかった時とはまた違った新たなる悩みをもまた、我々にもたらす危険があることは知っておかなければならない。 先に自己の概念について知ってしまったものは何かとその「自己」という問題に躓きやすくなることを述べたことがあったが、それと同じようにある概念について知るということは、その概念にまつわって出現してくる様々な問題も一緒に抱え込むということなのである。もちろん、それについての概念を知らない場合にも、同様の問題に引っかかることはある。自己の概念について知らなくても、自分はなんのためにいるんだろうと引っかかることはあろう。だが、それは明らかに問題の「深さ」が違ってくるのであり、この場合、当然のこととしてその「なんのために」は外的な事実と結びついてくる。ここでの解決はおそらく仕事を貰うとか何かの役割が見つけだせれば訪れる。それに対してそれが「自己」の概念の側から来た悩みであったのなら、そのような外的事実だけではもはや解決は訪れなくなってしまっているのである。つまり、同じようにそこで何らかの役割を得られたのであったとしても、それを越えて自分というものの中にはそのような役割は一体何の意味があるのだろうという次元まで容易に転化してしまうからである。 つまり、それについての悩みの度が、知っている状態ではより深くなることもあるのである。これは表面的なこと、単なる外的な事実だけを問題にするのではなく、自分の思考の内部にある概念についても問題にするようになるからである。キルケゴールの絶望の規定では自分が絶望の状態に無知であることから出発して、その概念を知っていくに従ってより深い絶望が訪れているように描いてあったが*16、まさにそのように自分の内的事実まで問題にしなければならない状況は、ただ単にある出来事について悩むだけとは違った苦悶をその者にもたらしていくのである。 *16 Lionel Dahmer,A Father's Story,Morrow,1994,p.212
記事カテゴリ色々整理しました♪ [日記・雑感]
こんばんは。高波です。
ここ1年、以前ほど頻繁にレビューや日記を書かなくなっていたことと、今後のこのブログの活動の方向性を見据えて、ちょっとカテゴリを整理してみました。
古いカテゴリを全部「日記・雑感」に吸収してかなりコンパクトになった感じ^^;
とりあえず今後は次のようにしてみようと思ってます。
日記・雑感:日々思ったこと、考えたこと、ボウリング、レビュー等分類されない記事を入れるカテゴリ
宇宙病:自分がうつ病の最中にあって思ったことあれこれ
ことのは:自分が心を揺り動かされた珠玉の言葉たち
同人:同人活動に関するあれこれ、スペース告知など
・以下、作品カテゴリ
贄神:贄神シリーズ
遙かなる星々の物語:遙かなる星々の物語シリーズ
パム日記:パムの冒険日記♪
心の闇の探求:修論公開用
物語のかけらたち:一つの話になるには少なすぎる物語の断片、アイデア、設定ノートなど
作品カテゴリは新たなシリーズを始めたらその都度追加していく予定~
とりあえずこれからは、新たに加わった「宇宙病」「ことのは」「物語のかけらたち」のカテゴリを主にして、こまめな更新・・・というか発信をちょっと頑張ってみます。
まあたまに完全にくたばって更新が途絶えることがあるとは思いますが、そんな時は復活するのを生暖かい目で見守っていてくださるとありがたいです♪
ということでみなさんお楽しみに~^^/
ここ1年、以前ほど頻繁にレビューや日記を書かなくなっていたことと、今後のこのブログの活動の方向性を見据えて、ちょっとカテゴリを整理してみました。
古いカテゴリを全部「日記・雑感」に吸収してかなりコンパクトになった感じ^^;
とりあえず今後は次のようにしてみようと思ってます。
日記・雑感:日々思ったこと、考えたこと、ボウリング、レビュー等分類されない記事を入れるカテゴリ
宇宙病:自分がうつ病の最中にあって思ったことあれこれ
ことのは:自分が心を揺り動かされた珠玉の言葉たち
同人:同人活動に関するあれこれ、スペース告知など
・以下、作品カテゴリ
贄神:贄神シリーズ
遙かなる星々の物語:遙かなる星々の物語シリーズ
パム日記:パムの冒険日記♪
心の闇の探求:修論公開用
物語のかけらたち:一つの話になるには少なすぎる物語の断片、アイデア、設定ノートなど
作品カテゴリは新たなシリーズを始めたらその都度追加していく予定~
とりあえずこれからは、新たに加わった「宇宙病」「ことのは」「物語のかけらたち」のカテゴリを主にして、こまめな更新・・・というか発信をちょっと頑張ってみます。
まあたまに完全にくたばって更新が途絶えることがあるとは思いますが、そんな時は復活するのを生暖かい目で見守っていてくださるとありがたいです♪
ということでみなさんお楽しみに~^^/
今後の連載の更新について [同人]
早いもので、今年ももう2ヶ月が終わり、3月になってしまいましたねえ・・・
今年こそは一杯更新するぞ!!と年初に気合い入れたにもかかわらず、ここ2ヶ月の更新頻度のていたらくといったら・・・・・・(遠い目
とりあえず、未だ色々と無理の利かない身体と状況であることは骨身に染みて分かりましたorz
頑張ろうと思ったんですけどねえ・・・
どうにもこうにも頑張ることが出来ないみたいですT^T
ので、すみません。
お待ちくださっている読者の方にはちょっと心苦しいのですが、今現在連載で抱えている作品について、今しばらく以下のような感じに更新していきたいと思います。
『遙かなる星々の物語~ウェヌスの章~』 不定期更新(月1ぐらいはなんとか・・・
『贄神』 休載
『心の闇の探求』 週一日曜日更新
『パム日記』 気分次第で電撃スタート&ゲリラ更新w
どうも今の言霊は贄神ではなく遙かなる~の方に向かっているようで、まだしばらく贄神再開は遠そうですorz
この作品を待っている方、1年以上も休載することになってしまいそうでほんと、申し訳ありません。
また言霊が降ってきたら再開しますので、今しばらくお待ちください(今年後半にはなんとか・・・
今年半ばぐらいにはなんとか正常化に持って行けるようにワークライスおよびリアルライフを頑張りますので、どうか生暖かい目で見守っていてくださいますと幸いです_._
2011/3/2 高波 修 拝
今年こそは一杯更新するぞ!!と年初に気合い入れたにもかかわらず、ここ2ヶ月の更新頻度のていたらくといったら・・・・・・(遠い目
とりあえず、未だ色々と無理の利かない身体と状況であることは骨身に染みて分かりましたorz
頑張ろうと思ったんですけどねえ・・・
どうにもこうにも頑張ることが出来ないみたいですT^T
ので、すみません。
お待ちくださっている読者の方にはちょっと心苦しいのですが、今現在連載で抱えている作品について、今しばらく以下のような感じに更新していきたいと思います。
『遙かなる星々の物語~ウェヌスの章~』 不定期更新(月1ぐらいはなんとか・・・
『贄神』 休載
『心の闇の探求』 週一日曜日更新
『パム日記』 気分次第で電撃スタート&ゲリラ更新w
どうも今の言霊は贄神ではなく遙かなる~の方に向かっているようで、まだしばらく贄神再開は遠そうですorz
この作品を待っている方、1年以上も休載することになってしまいそうでほんと、申し訳ありません。
また言霊が降ってきたら再開しますので、今しばらくお待ちください(今年後半にはなんとか・・・
今年半ばぐらいにはなんとか正常化に持って行けるようにワークライスおよびリアルライフを頑張りますので、どうか生暖かい目で見守っていてくださいますと幸いです_._
2011/3/2 高波 修 拝
タグ:創作小説
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